「私史花記」にこめた思い
「私史花記」とはライフワークである自分史活動への思いをこめた名前です。
花、記すこと、私史(自分史)、名前の「咲」の字が好きだという自己紹介の文字をイメージとして組み合わせてみました。
(「自分史」と「私史」は同義語として使っていますが、やや硬い響きのある「自分史」よりももっと肩ひじを張らず、プライベートなものとして気軽に取組めるように、という思いをこめて「私史」と表現しています。)
具体的には、まずは「世界にひとつだけの花を見つめるように私史を記してみませんか」というご提案をこめています。
「世界にひとつだけの花」という表現は、もちろん、あの、SMAPの代表曲で槇原敬之さん作詞作曲の『世界に一つだけの花』を受けての表現です。
『世界に一つだけの花』の歌詞は、読みこんでみると次のようなストーリーにまとめられると私は思います。
花屋には一番を争うことなくいろんな花がしゃんと胸を張って咲いている。
その花の姿は普段忘れがちな大切なこと、僕ら人間一人一人は、比べ合う必要のない「元々特別なonly one」であると気づかせてくれる。
またある時花屋では「困ったように笑いながらずっと迷っていた人」がいた。
その人はやっと(花を選べたのか)花屋を出たときには、色とりどりの花束を抱えてうれしそうな横顔を見せてくれた。
その人のその様子は、僕の過去の「あの日」、名前も知られず誰にも気づかれない場所で笑顔を向けてくれるように咲いていたあの花に似ていた。花屋から出てきたその人も、「あの日」の花も、僕に大切な気づきをくれた。
「僕らも世界に一つだけの花のように、一人一人違う種をもつその花を咲かせることだけに一生懸命になればいい」のだと…。
その人は花屋で何を迷っていたのでしょうか。
「花」や「花束」は何の比喩なのでしょうか。
実はこの曲が流行していた当時から、なんとなくこの疑問が頭に残っていたのです。
「頑張って咲いた花はどれもきれいだからしかたないね」という歌詞があることから、その人は
「今までいろんなことに頑張ってきた。その中で、今何かを、どの道かを選ばなくてはいけない。自分らしい選択はどれなのか…」
その人はきっと何か大事な決断をして一歩を踏み出したのではないでしょうか。
自分史を活用して過去を振り返ると、その時々にいろんなことをしてきたいろいろな「私」、「頑張っていた私」が存在していたことに気づけます。そのひとつひとつの「私」を「花」と比喩表現したならば、「私史(自分史)」とは、いろんな「私」を束ねてできた「色とりどりの花の花束」とも表現できるように思います。
花屋を出たその人が抱えていた花束は、これまで「頑張ってきた『私』の花たちでできた花束」なのではないでしょうか。
その花束をしっかりと胸に抱くことでその人は笑顔になり、元気になり、大事な決断をできたのではないでしょうか。
自分史の活動をする中で、こんな風に『世界に一つだけの花』の歌詞を読み取れることに気づき、ひとつの説として勝手ながら発信させていただいております。(槇原敬之さんに届き、いつかお話しさせていただけたらうれしいです。)
もちろん、実際には、過去に咲いていた花は過去のものであり、現在までずっと散ることなく咲き続けられる花はほぼないでしょう。
けれども、「自分史」を活用して過去をしっかりと振り返ることができれば、過去の「あの日」の花は色とりどりに鮮明に咲いていて、現在の「私」を笑顔にしてくれる力を持って蘇ることができます。それらの花は色とりどりに、自分らしく、あたたかく、懐かしく、抱きしめるに値する、かけがえのない花束になれるのです。
自分史を活用するときに大切にする思考に「過去の事実は変えられないが過去のとらえ直しはできる」というポイントがあります。
自分史講座やサロンでは、ご参加くださった方々が「過去のとらえ直しができ、大事なことに気づき、笑顔になれる」時間と場所であることを大事にしています。
つまり目指すのは『世界に一つだけの花』の「花屋」さんです。
「元々特別なonly one」であるひとりひとりが、世界にひとつだけの自分の人生を見つめてつくった「花束」のような「私史(自分史)」は自分自身だけでなく、それを受け取った大切な人をも笑顔にし、応援できる贈り物になります。
だからこそ、「世界にひとつだけの花を見つめるように私史を記してみませんか?」
そうした思いを「私史花記」にこめています。